· 

あさ日はのぼりて よをてらせり


くらきにすむひと きたりあふげ

ちゑにとめるもの よにいでたり

おろかなるひとは きたりまなべ

 

―――1888(明治21)年『新撰讃美歌』六十三番第一節より

 

 

 今までブログタイトルの大半は唱歌シリーズでしたが、ここにきて突然の讃美歌です。

 ここ一か月程、私の中では早めのアドベントシーズンを迎えており、脳内がクリスマス讃美歌一色だったためです。ちなみに去年もそうでした。

 

 何故かというと……、というわけで今日のラインナップはこちら!


 

その一。

 

 

第二作「アドヴェント・カレンダー」ver.1.20アップデート

 

 

 あと1週間ほどで今年も待降節!

 という今日この頃、一年前に発表したこの作品に11か月ぶりのアップデートを施しました。

 

  かれこれ半年ほど前にPLiCyゲームコンテスト2020で敢闘賞をいただいたこの作品。

(すみません、実は今日間違えて「佳作」とツイートしてしまいました……! 数時間後、速やかにツイートを削除しました。本当に何かもう……すみません!!)

 

 染居 衣奈によるゲームの中では現状、唯一“キャラゲー”と言っていい雰囲気の作品です。

 めっちゃファンタジーです。恋愛要素とかあります。びっくり。

 

ちなみに本サイトの作品紹介ぺージはこちら← 

 

 ざっくり言うと「推しのイケメン牧師を目当てにライブ気分で日曜礼拝へ参戦する14歳の女の子が待降節の期間中に推しと自分の前世を探す(ただしタイムリミットは降誕祭まで、その日を迎えると推しは死ぬ)」というお話です。

 たぶんこれだけだと意味わからんと思うので、ぜひリンク先を見てください!

 顔グラや立ち絵はキャラクタージェネレータのCHARATさんで作成しましたので可愛いです。

 ----

 CHARAT/キャラット https://charat.me/

 ----

 

 さて、賞をいただく少し前くらいから

「やっべ、のんちゃん(作中ヒロイン)のあの伏線とかバラ撒きっぱなしで全然回収してねえじゃん」

などと思っていたため、補足の意味も込めたSSを書こうとしていました。

 

 とはいえネタバレしまくりな内容になってしまうため、クリア後でないと意味がわからん……。

 

 ならクリア後コンテンツにしちゃえばいいのでは?

 

 ……そんな発想からアプデが決定しました。(雑)

 

 あとブログで前々から書いていたようにスタートメッセージ(「HAPPY ADVENT」)をリアル待降節に対応させたい、など思っていたのもあり……さらに当時は気づけなかった技術的な粗が今になって気になり……

 ついでなので色々修正しました!

 

 当初は受賞のお祝いにアップデートしようかなどと目論んでいたのに、何だかんだでアドベント初日ギリギリになってしまいました……。

 

 それではここからアプデ内容をご紹介していきます!

 

 

①クリア後コンテンツ追加

 

 一応、アップデートのメインとなる部分です。

 

 全ENDをコンプリートするとコンプリートメッセージ(及びノベコレ版ではコンプリートバッジ)が開放されるのですが、それに続く形でクリア後コンテンツへ遷移できるようにしました。

 

 

 内容は上述したようにクリア後推奨のSS(ショートストーリー、短めの小説)となっておりまして、これをゲーム内でサウンドノベルとして読める形式にしたものです。

 

←タイトル画面

 

 本編でも引用した、新約聖書の一部分をモチーフにしたお話です。

 

 ←こんな感じで本をめくるように(1文字ずつではなく)1ページごとに表示されます。

 

 時系列は本編が始まるよりも二年前、降待 望が大学に通っていた頃の話となっています。

 主人公は彼です。(この人の視点、主ちゃん視点と違ってすげえネガティブでびっくりした。)

 

 全6章、30分くらいで読めるサウンドノベルです。

(本当は10分くらいを想定していたのに、あれもこれもと詰めたら長くなってしまった。)

 

 立ち絵や背景画像はなく、文字と音楽のみです。

 小説のようにお読みいただけたらと思います。

 

 

 ……とはいえ、「アドヴェント・カレンダー」は一年前に公開した作品です。

 

 いや全クリしたけどもうデータ消しちゃったよ!!という方がいるかもしれない……!

 (たぶんそれ以前に、全クリまでしてくださった方はこの世に数える程しかいないだろうと思いますが……。)

 

 というわけで、テキストの全文をこのブログの最後に掲載することにしました。

 本編ネタバレ全開な内容ですので、クリア前の方は読まない方がいいと思います!

 (というか読んでも意味がわからないと思います!)

 

 ページ下部のSSまでジャンプする方は→こちら←から

 ※重ねて言いますがネタバレ注意です

 

 ……まあ正直、私が書きたいから書いてやったぜ!!!みたいなお話です。

 それでもよろしければ、お楽しみください。

 

 

②スタート画面メッセージ改良

 

 ここからは細かい修正になります。

 

 ゲームを起動した際にスタートメッセージが出るのですが、これは端末の日付設定によって場合分けされるような仕組みにしております。

 

 これまでの場合分けは、

 

 ①12月1日~23日

 ②12月24日

 ③12月25日

 ④それ以外の期間

 

でした。これを、

 

 ①その年の待降節(アドベント)期間

 ②12月24日

 ③12月25日

 ④それ以外の期間

 

という形へ改良しました! かなりの自己満足!

 

 待降節って?という方へは以前のブログをどうぞ→小ネタ

 

 要は11月30日に一番近い日曜日からがアドベントシーズンとなるわけなので(例えば今年は11月28日の日曜日から12月24日まで)日付と一緒に曜日のパラメータを取得してあれやこれやしてやりました。

 

 そんなわけであと一週間くらいした28日にゲームを起動すれば、

 ↑こんな画面が出るはず!!

 

 出なかったらバグです!!

 即座に教えてください!!

 

 

③コンフィグ画面修正

 

 コンフィグ画面について、以前は(古いバージョンのティラノビルダーの仕様により)ちょっと無理のある形で未読スキップのON/OFF選択ボタンを置いてしまっていたのですが、これを少し修正しました。

 

 未読スキップ自体をなくさせていただく代わりに、別のボタン(SE音量確認用)を置きました。

 

 

④エンドクレジット更新

(プラグイン追加により)

 

 8月に公開した拙作「ぐらぐらする」で使用させていただいたプラグインが非常に便利でしたので、アプデを機にアドヴェントへも盛り込みました。

 これにより、エンドクレジット及びダウンロード版の_はじめに.text(readme.text)に追記しております。

 

(猫)milkcat/ねこの様

「カスタムルビプラグイン」

 https://milkcat.jp/

 

 

⑤スキップ演出等改良

 

 これは今となっては本当に申し訳ないのですが……。

 

 アプデ前のバージョン、同じテキストなのにスキップできないところ多すぎ……!(土下座)

 

 すみまません。これはひとえに私の技術が未熟だからです。

 一年経って少しは進歩したので、同問題に関しては大幅に改良できたと思います。

 

 また二回目以降にカードストーリーをスキップする際、クッキーを食べるか食べないかについてもその場で選択しスキップできるようにしました。

 ご不便をおかけして申し訳ございませんでした。

 

 

⑥その他いろいろ微修正

 

・起動時などにタイトル画面の画像が遅れて表示される問題を修正

・プロローグ後半にタイトルが出る演出追加

・カードストーリーの改行箇所を改良

・エンディングリスト表示改良

・システムメッセージ改良

 

 など……たいしたことでは全然ないのですが、ちょこちょこと色々修正しました。

 

 

 

 そんなこんなで今年のクリスマス&アドベントシーズンのお供に

アドヴェント・カレンダー【Ver.1.20】」いかがでしょうか!

 よろしくお願いします!

 

----

作品URL

 →ノベルゲームコレクション(ブラウザ形式/ダウンロード版)

  https://novelgame.jp/games/show/4271

 →PLiCy(ブラウザ形式)

  https://plicy.net/GamePlay/106688

※ボタンクリックの都合上、PCブラウザまたはダウンロード版でのプレイを推奨しております

 

さらに次の項目でご紹介しますが……

 →ふりーむ!(ダウンロード版)

  https://www.freem.ne.jp/win/game/27094

----


 

その二。何故かよくあることなんですが、ここまで書いた時点で飛び込みニュースが入りました。

 

 

「アドヴェント・カレンダー」ふりーむ版公開!!

 

 

 例によってアップデートを機に公開サイトを増やしてみました。

 ふりーむ!さんはこれにてノベコレと同じく全作品置かせていただく運びとなっております。

 

 私の他三作品「隠さなきゃ」「蕎麦といえば出雲そばだよなァ!?」「ぐらぐらする」はすべてブラウザ版として置いていますが、今回「アドヴェント・カレンダー」はダウンロード版とさせていただきました。

 

 アドヴェントは現状、拙作の中では最も長いプレイ時間(3時間~)であること、タイトル画面等でボタンをクリックする際にマウスオーバー画像を用意しているためPCプレイ推奨であることなどを考慮しております。

 (念のため、スマホでは遊べないというわけではありません。ノベコレまたはPLiCyにてスマホブラウザでのプレイ及びクリアは可能です。しかしどこをタップできるのか分かりづらく、クリア難易度としては上がるかと思います。)

 

 内容はノベコレ版、PLiCy版と同じVer.1.20で変わりません。(ノベコレのゲームバッジはありません。)

 

 

 

 実は今回のVer.1.20アップデート及びふりーむさんへの投稿、11月21日(明日)までに遂行したいと思っていました。

 

 何故なら……

 

 

 ゲーム本編がスタートする日付が11月21日だからです!

 しかも曜日まで一緒! 日曜日! 待降節初日の1週間前!

 

 

 間に合ってめちゃくちゃ嬉しいです(笑)

 

 これは本当に偶然なのですが、カレンダーの配置が2021年のものとどんぴしゃ同じなので、ぜひぜひ今年のクリスマス&アドベントシーズンに遊んでみてください!

 

 Start the Advent Season ?

 

----

「アドヴェント・カレンダー」

 ふりーむ!版公開ページ(ダウンロード版)

 https://www.freem.ne.jp/win/game/27094

----

 


 

その三。遅報です。

 

 

ティラノゲームフェス2021(約1か月前に)開幕!!

 

 

 開幕おめでとうございます!!(遅い)

 今年も楽しむ気満々でおります。まだあんまりフェス作プレイできてないけど……。

 アドヴェントのアプデも終わったことですし、これからはもう少し時間(と精神的な余裕)がとれるんじゃないかと思ってます。

 気になってお気に入り登録してる作品はいっぱいあるんだ……!

 

 それでもって前々回くらいのブログに書いた通り、私も以下の作品で参加しております。

 

 既に感想もいただいておりまして、めっっっちゃ嬉しいです!

 あといつの間にやらノベコレ300DL達成ふりーむ100Play達成しておりました!

 本当にありがとうございます……! フェス効果はすごいぞ!

 

 「ぐらぐらする」はあまり万人受けする作品ではないと思いますが、その分誰かひとりだけでも心に深く刻みつけてやるぞ、みたいな気持ちで制作しました。

 

 みなさん、特に社会人の皆様はこのゲームを遊ぶことにより深く心にダメージを負ったのちに、翌日は強い気持ちで各々の戦場へ出勤していただきたく思います(筋トレ的な気持ちで)。

 

 よろしくお願いします(?)。

 来月にオープンするバーチャルフェスも楽しみだ~。

 

----

ティラノゲームフェス2021 特設サイト

https://novelgame.jp/fes2021/ 

 

 


 

 

 さて、最後に雑談を……。

 

 冒頭の『新撰讃美歌』六十三番の詞ですが、私が学生時代に愛用していた讃美歌集では「讃美歌97番」の歌詞になっていました。

(なお、細部は少し違います。また『新撰讃美歌』六十三番では、私の知る97番とは別のメロディー(スコットランド民謡のいわゆる「蛍の光」)の歌詞としてつけられていたようです。)

 

 97番は讃美歌の分類では「待降」(新撰讃美歌では「聖子 降世」)となっていまして、まさに待降節・アドベントにふさわしい曲です。

 

 個人的に「待降」「降誕」などのクリスマス讃美歌には好きな曲が多いですが、中でも97番「あさひはのぼりて」と115番「ああベツレヘムよ」は私の中で2トップです。

 

 115番は拙作アドヴェント・カレンダーでも使用させていただきました。

 ……が、97番は比較的新しい曲ということで作中での使用を断念しました。

 

(制作中に初めて知ったのですが、97番を作曲されたのは鳥居忠五郎さんという日本人の方だそうで……。

 勝手に、他の多くのクリスマス有名曲と同じように古い外国の曲だと思っていたので驚きました。

 外国民謡に劣らぬ名曲ですよね。)

 

 アップデートをするにあたって、久しぶりに「アドヴェント・カレンダー」のBGMを聞きまくっていたところ、

(制作中の作品BGMを出勤時BGMにするのは、音源チェック&モチベ維持&危機感の高揚を目的とした私の常套手段です)

何だか懐かしくなって引っ越し段ボールの奥底から讃美歌集を引っ張り出しました。

 

 その時に97番が目に入り、歌詞の方はパブリックドメインであると知り、ブログタイトルにした次第です。

 

 ……だからどうという話でもないのですが。(しまった、落ちを考えてなかった。)

 

 「アドヴェント・カレンダー」は色んな意味で思いっきり自分の「好き」を詰め込んで制作しましたが、好きな讃美歌はまだまだあります。

 そちらを詰め込んだ『讃美歌ゲー』もいつか作ってやりたいと目論んでおります。

 

 ……いつになるかな!!(遠い目)

 

 

 それでは今日はこのあたりで。

 このあと、「アドヴェント・カレンダー」クリア後コンテンツSSのテキスト部分を掲載させていただきます。

 非常に※※ネタバレ注意※※な内容ですので、プレイ前の方はご注意ください。

 

 染居 衣奈でした。

 もはやこのブログにおけるやるやる詐欺になっていそうな長編構想(妄想)、下調べという意味で一応進んでおります……。

 地元の図書館で関連しそうな本を読みまくったり、オリジナル曲のBGMを色々つくったり、制作を見据えて新しいツールを入手&勉強してみたり、タイトル画面やローディング画面やコンフィグ画面のアイディアを出してみたり、素材を見繕ってみたり……。

 まあつまり目に見える進捗はないということなんですが!

 いや本当にそろそろアウトプットしないと自分が精神的に辛くなってきているので、早く書き始めたいですね……。


このあと「アドヴェント・カレンダー」クリア後コンテンツのテキスト部分を掲載します。

ゲームデータとクリアデータが残っている方は、ぜひゲームでお楽しみください。(音楽あり)

それ以外の方のみどうぞ。

 

 

※※※ネタバレ注意カウントダウン※※※

 

 

↓↓↓7↓↓↓

 

 

↓↓↓6↓↓↓

 

 

↓↓↓5↓↓↓

 

 

↓↓↓4↓↓↓

 

 

↓↓↓3↓↓↓

 

 

↓↓↓2↓↓↓

 

 

↓↓↓1↓↓↓

 

 

Advent Calendar

アドヴェント・カレンダー 番外編

二人の負債者

----

 

イエスが言われた、

 

「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、

ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。

 

ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。

 

このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。

 

シモンが答えて言った、

 

「多くゆるしてもらったほうだと思います」。

 

イエスが言われた、

 

「あなたの判断は正しい」。

 

 

----ルカによる福音書7章41節から43節

  (日本聖書協会発行『口語新約聖書』(1954年版)より)

 

 

 

0.

 

 彼女の命は、雪降る聖夜に舞い散った。

 罪深いその魂は、やがて黄泉(よみ)へ堕ちた。

 

 程なくして、彼女に罪を負わせた二人も、また堕ちた。

 

 一人は、愛する彼女の希望を裏切ったが故。

 もう一人は、愛する彼女の幸福を奪ったが故。

 

 このふたりのうちで、どちらが彼女に対して多く負債があるだろうか。

 

 

 

1.

 

 大学四回生の夏休み。僕は全愛町(またあいちょう)へ帰らなかった。

 理由はいくつかある。

 

 ひとつは、夏風邪をこじらせて体調不良が続いていたこと。

 昔から体の弱かった僕は、とうに成人した今でも定期的に寝込む有り様だった。

 しかしお陰様で対処には慣れたもので、今回も四、五日休めば出歩ける程度には回復したため、それ自体はさしたる障害にならなかった。

 

 ならば理由のふたつめ。

 それは、いよいよ卒業論文へ力を入れる時期に差し掛かっていたから。

 かなり昔から掘り下げてきた研究テーマだけに、中途半端なものを提出したくはない。

 

 これは同期の仲間も皆同様だった。所謂『人生の夏休み』『最後のモラトリアム』と呼ばれる時間を謳歌していた学生達だとて、四回生ともなれば色々と考えるべきこともやるべきことも増えてくる。

 論文とそれを執筆するための研究をどう仕上げるか、という課題はそのひとつだろう。

 だがその点で言えば、僕はまだ良い方だった。なぜなら『卒業論文』と共にこの時期の学生にとって悩みの種である二大巨頭――その片方である『就職活動』という問題を、僕は既に片付けていたからだ。具体的には大学院へ進学するつもりでいて、既に院試と手続きも終えている。

 就活をしている学部仲間の中には、マイナー学部に所属した者の宿命として内定獲得に難儀している者も結構いるようだったが、僕はその分の時間を研究やアルバイトへ充てることができた。

 

 帰省を渋るみっつめの理由。

 帰ったところで滞在場所に困るから。……これは僕の生い立ちからして、仕方がない。

 

 今世の僕は、全愛町にある児童養護施設で育った。

 施設を出たのは三年前、高校を卒業した年の春。奨学金で大学へ進学することが決まり、アルバイトをしながらキャンパスの近くで一人暮らしを始めた。

 

 一方、施設へ引き取られたのは……覚えていないくらい小さな頃の話だ。

 気がつくと僕は全愛町で暮らしていて、施設代表の南(みなみ)先生が僕の母代わりで、支援者の柊(ひいらぎ)先生が僕の父代わりで、そして施設と教会が僕の帰る家だった。

 本当の両親は、知らない。全く気にならないと言えば嘘になるが、やはり気にはならない。

 南先生と柊先生のおかげで、“降待 望(ふるまち のぞむ)”という少年の子供時代は多くの愛に恵まれていた。

 

 だが、いくら施設が僕の家だとは言っても、普通の実家のように帰省することは難しい。

 たまに顔を出して挨拶をしたり、手伝いをしたりすることはあっても、他の子供達のように世話になるわけにはゆくまい。

 

 とはいえ、大学へ入ってから今まで、盆休みを全愛町で過ごしたことがないわけではない。

 昨年、三回生だった頃の例で言えば、僕は柊家に数日間お世話になっていたのだった。……まるで昔のように。

 柊のおばさんが言うには、その前年の二回生の時、往復交通費及びビジネスホテル宿泊費を決して余裕の多くないアルバイト代からはたいていた……というのを先生が見かねたらしい。

 それならばうちへ泊りなさいと仰って、車の迎えまで寄こしてくれた御夫妻の厚意を、昨年は断り切れなかった。

 

 ……お二人はともかく、彼には悪いことをしたと思う。気を遣わせてしまった。

 

 そんなわけで、今年も同様の申し出があった際には、ひとつめの理由を建前に辞退させていただいた。

 

 そして……四つめの理由。一番のネック。

 僕が全愛町へ帰ることのできない最大の理由にして、同時にそれでも僕を全愛町へ引き止め続ける最大の弱点。

 

 会いたくないわけがない。

 だが帰省するたび、年々彼女の真っすぐな好意に胸が苦しくなるのも事実。

 

 自らが既に堕ちていることも知らず、『前世』などというものを信じ続ける彼女。

 目の前の男が堕とした張本人だとも知らず、僕を無邪気に慕い続ける彼女。

 すべて夢に過ぎないのに。

 

 黄泉の使いは言っていた。

 

『はっきり言っておきます。

 あなたは前世で自害した年齢以上に生きられない』

 

『また記憶の大半を……とくにあなたに関する全てを失った彼女は、あなたが死ぬ時になってようやくそれを取り戻す。

 これがあなたに課せられる罰です』

 

『しかしその日までに彼女が前世を完全に拒否した場合、あなたは生きられる。

 これもまた罰です』

 

『あなたには、選ぶことはできません。

 あなたの側から、前世に関わることを彼女へ示唆することはゆるされない』

 

『ですが……望むことくらいは、良いでしょう。

 彼女がどちらを選ぶか。

 偽りの幸せか、真実か』

 

 

 ……ところが、思い通りにはいかなかった。

 彼女は、主(つかさ)ちゃんは『前世』のすべてを失わなかった。

 

 今でない過去の記憶の存在を疑うのは、あの悪魔も想定内だったと思う。

 

 想定外は、記憶を失って尚、僕を慕ってくれたこと。

 何も覚えていないはずなのに、大切な存在であると信じて疑わなかったこと。

 

 あの悪魔には、いい気味だ。

 と、同時に僕は恐れた。

 

 黄泉の国で幸せに過ごす彼女は、どちらを選ぶのだろう。

 その日まで前世にこだわり続けるのか、あるいはそれより前に決別するのか。

 終わりの日は、いつ来るのだろう。

 いつ、僕に裁きをくだすのだろう。

 

 偽りの幸せか、真実か。

 

 今の彼女は、中途半端だ。

 それがいつまでゆるされるのか。

 

 はっきり言おう。

 大学院への進学を決めたのは、怖かったからだ。

 もう一度死を迎えるのも、彼女が前世を……本当の僕のことを見限ってしまうのも。

 少しでも遠くへ逃げようとした。そんなことが、ゆるされるわけもないのに。

 

『それが僕に課せられた罰なら、死のうとも構わない』

 

 そう言ったのは自分だ。

 それなのにあれから数年経った今、僕はまた迷い、恐れている。

 

 あの雪の凍てつく聖夜、僕は24歳だった。

 つまり、あと2年と少し。

 

 彼女に会うたび、喉元へ突き付けられた鋭いナイフが、徐々に近づいて来るような気さえする。

 

 

 大学四回生の夏休み。僕は全愛町へ帰らなかった。

 だというのに、そんな僕の目の前に……かの罪の源が現れたのだった。

 

 

 

2.

 

 病み上がりで訪れた指導教授の居室を辞したのち、久しぶりにサークルへ顔を出してみようかと部室へ赴いた。

 ところが入室するより早く、後輩から呼び止められた。何やら困惑した様子の彼の話は要領を得ない。

 ひとまず言われるがまま、最寄りの学生食堂へ向かうことになる。

 

 大学は講義期間外だが、サークル活動や研究活動で登校している者は多かった。一方で休暇中は閉まっている食堂も一部あり、開いている食堂はそれなりに混んでいる。

 ガヤガヤした空間へ立ち入り、いったい何が……と言いかけた僕は、テーブルの一画にあり得ない姿を見つけて硬直した。

 

「ねえねえ。主ちゃんって今、何年生?」

「六年生」

「やっぱりまだ小学生かー。にしては、しっかりしてるね」

「どうも」

「いつから降待くんのことが好きなの?」

「前世から」

「へ~、そうなんだ~」

「……それより、いい加減教えてよ。この中の誰が、のんちゃんの愛人なの?」

「うんうん、本当に好きなんだねえ」

「当たり前でしょ! 妻なんだから」

「はあ。降待先輩……確かに女っ気ないとは思ってたけど、まさか小学生に手出してたとはなあ。そっちの人だったかー」

「とぼけないで! 女っ気ないなんて絶対、嘘! 夏休みになったのに私に会いに来ないなんて、本妻を差し置いて外に女つくったに違いないもの」

「降待さんって神学部でしょ? うわあ……尊敬してたのになー……」

「これは絶対、浮気! う、わ、き!! ひと夏の過ちだからって、私が看過すると思ったら大間違いだ! のんちゃんの馬鹿!」

 

 ……屯している多くの学生達が、ちらちらと彼女を伺っている。

 それはそうだろう。子犬のようにきゃんきゃん吠える姿は、明らかな子供……それも同学年に比べて体格の小さい彼女は、どう見積もっても小学生の外見だ。

 

 僕をここへ連れてきたサークルの後輩が「嘘ですよね?」というような目で僕を見てくる。そういえば彼は法学部の所属だ。やめてくれ、僕は断じて性犯罪者ではない。

 

 しかし状況は厳しかった。

 

「あっ!! のんちゃん!!!!」

 

 それまで、ぷりぷりと怒っていたはずの彼女――七星 主(ななほし つかさ)ちゃんは、それでも僕を見つければいつものように満面の笑みを浮かべてくれた。

 よくよく見慣れたその色鮮やかな変化に、どうやらこれは白昼夢でなく現実らしいと悟る。だが、僕は顔を引きつらせざるを得なかった。

 

 彼女に今世での愛称を呼ばれるのは、嫌いではない。むしろ嬉しい……はずなのだが、後輩を含め多くの学生達の白い目が僕に突き刺さっているこの状況では、逃げ出したくもなった。

 

 ……落ち着いて状況を整理しよう。

 

 ここは、大学のキャンパス内のはず。

 彼女と一緒のテーブルへ座って相手している面々は、加入している美術サークルの後輩や同期達だ。……割合としては女子が多いか。

 何となく、状況を察してきた。

 

 しかし、彼女はどうやってここへ来たのだろう。大学の所在地は間違っても彼女の暮らす全愛町ではない。

 県境を跨ぐし、普通の小学生が一人で来るには骨の折れる距離だ。……と言っても、彼女が普通の小学生だとは僕も本人も思っていないが。

 実際問題として主ちゃんがここへ来るには、誰かに車で送ってもらうか、電車などの公共交通機関を利用するしかないだろう。

 車というのは考えづらい。そもそも僕をわざわざ訪ねてきそうな人で、主ちゃんと面識のある人など柊先生くらいだ。あの人が未成年の主ちゃんを単独で連れ回すなどあり得ない。

 ということは、残るは一つ。

 

「うわー。大学で見るのんちゃんも、真面目朴念仁と見せかけて実は切れ者タイプな学生って感じでかっこいい……こりゃ若い女子大生が放っておかないわ……」

 

 すすすっと近づいてきて、これまたいつも通りに嬉しそうに僕を見上げる主ちゃん。……この目には、弱い。

 僕は咳払いし、極力冷静な声音を心掛けながら問いかけた。

 

「主ちゃん……。一人で、電車に乗ってきたの?」

「うん! 新幹線って、初めて乗るからどきどきしちゃった」

「一応聞いておくけど、帰りの切符はある?」

「ちょっと。会ったばかりなのにもう帰りの話? 大丈夫だって! ちゃんと往復分あるよ。子供じゃないんだから」

「子供でしょ……。新幹線の往復って結構お金がかかると思うけど、七星さん達が用意してくれたの?」

「パパとママ? 違う違う。ふっふっふっ……こんなこともあろうかと」

 

 すると主ちゃんは何やら背負っていたバックパックを前へ持ってきて、中をごそごそし出した。

 ……というか、大きいな。学校の修学旅行に持っていくサイズだ。

 まさか家出じゃないだろうな、と嫌な予感がする。

 

 僕の心配をよそに、やがて彼女は薄いパンフレットを一部取り出した。

 『○○大学 入学案内』……この大学の案内冊子だ。記載されている年度からして、おそらく僕が入学した年のものだろう。

 

 その裏側の隅、『キャンパスへの交通アクセス』という所に大きく丸印がつけられ、余白には全愛町からの経路、乗り換え、交通費などが事細かにメモされていた。

 

「のんちゃんが全愛町を出て行ってから、苦節三年と四か月と十七日間……。柊のおばさんが捨てようとしていたこのパンフレットを横領し、パパのパソコンでこっそり電車賃を調べ、お正月のたびに親戚中を練り歩いて……来たるこの日の交通費のために、計三回分のお年玉を貯めに貯めていたのです!」

「つまり、七星さん達は知らないんだね?」

「もちろん知らないよ。置手紙はしたけど」

「……はあ。あのね、主ちゃん」

 

 ため息をつきながら、主ちゃんの肩に手を置き……かけて、ハッとする。

 

 ……未だ周囲には、僕へ疑惑のまなざしを向けるギャラリーがたくさんいることを思い出したためだ。

 

「のんちゃん? どうしたの? 再会のハグ? どうぞどうぞ」

「と……、とりあえず場所を移そうか」

 

 

 

3.

 

「だって、のんちゃんが悪いんだよ。お盆休みに入ったのに全愛(またあい)教会に顔出さないから……それで柊先生に聞いたら、今年は帰ってこないって」

「色々忙しいんだよ、僕も」

「わー。そのセリフ、たいして忙しくない大人が使うやつ」

「…………」

 

 食堂を出た僕と主ちゃんは、屋外の適当なベンチへ腰かけた。

 ちょうど側に桜の木が茂っていて、夏真っ盛りな陽光を遮ってくれているロケーションだ。

 少し離れた所では、好奇心いっぱいの顔でついてきたサークルの面々が、面白そうにこちらを見ている。

 

「ところでのんちゃん、また風邪ひいた?」

「えっ? ああ、うん。少し前に。もう治ったけど」

「やっぱり。声がちょっとだけハスキーな感じだもの」

「そうなの? ……よくわかったね」

「ふっふふ、さっすが私の耳。のんちゃんボイスの分析に関して世界最高峰の技術力を誇っているわ。……で、大丈夫だった?」

「何が? さっきも言ったけどもう治ってるよ」

「いや。看病につけこんで、あそこにいる女どもに襲われたりしなかった?」

「…………もしかして、サークルの女の子達のこと言ってる?」

 

 最初に僕を呼びに行った後輩はともかく、しばらく主ちゃんの相手をしていた者達の誤解は、案外簡単に解けた。

 話を聞くに……、キャンパスへ辿り着いた主ちゃんが門柱で警備員と話していた所に、たまたまサークル仲間が通りがかったのだそうだ。僕の名前が出たので事情を聴いてみたところ、案内するよう頼まれたらしい。

 

 そのままだと警備員から警察へ迷子の通報をされかねなかったので、それは良かったが……彼女らから主ちゃんの言動を聞かされた僕は頭を抱えた。

 

『私達が話しかけたらあの子、何て言ったと思います?』

『凄い目で睨んできて、突然「こんにちは。わたくし、降待の家内ですが」って』

『超面白い子だと思って、色々聞いちゃいました』

『私、「泥棒猫」って単語を実際に言われるの人生初だったわー』

 

 …………。彼女らには、後で改めて謝罪しておこう。

 

 前々から思っていたが、記憶がないとはいえ今世の主ちゃんは自由に育ちすぎではなかろうか。

 もちろん、前世のような辛い境遇を思い出させたいとは露ほども思わないし、七星さんのような優しい養父母に恵まれたことは幸運だが……。

 

 いや、あるいは。……本来の彼女は、こうだったのか?

 

 前の彼女は、あの貧しく小さな村で身をひそめるようにして生きていた。

 子供の頃は口にしていたささやかな夢も、物心つく頃にはすっかり心の奥底へ仕舞いこんだ。

 

 もし、生活の不自由なく暮らしていられれば。

 もし、両親によって売られるように嫁がされたりしなければ。

 もし、婚家で酷い目に合うこともなければ。

 もし、……あのまま僕と一緒になれていたら。

 

「……それでもう私、これは大学に彼女がいるんだ! って思って……聞いてる? のんちゃん」

「……ああ、うん。聞いているよ」

「びっくりしたよ、あの真面目なのんちゃんがサークルに入ってるって言うじゃん? 大学のサークルって彼女つくるために入るんでしょ?」

「ああ……、うん!? ま、待って待って何言ってるの!? 違うからね!?」

「あーあ。のんちゃんは大学で牧師さんになるための勉強を頑張っているんだと思ってたのになー。私と会えないからって、私以外の女に手出すとはなー」

「だから違うから……」

 

 ……もしものことなんて、考えるのはやめよう。

 僕にそんな資格があるとは思えない。

 

 それより、今の自分のことを心配した方がいいかもしれない。

 もしかして、学食でも僕が来るまでこんなことを言っていたのだろうか。だとしたら、明日からの僕の社会的立場は大丈夫だろうか。

「本当に……その、彼女とか、まして愛人とかいうのは誤解だから。というか意味が分からないから」

「本当かなー。だって前からのんちゃんって、大学のこと聞いてもいまいち話してくれないんだもの」

「……それは。……僕のことなんて、そんなに面白い話もないからで……」

「えー? 私はのんちゃんのことだったら何でも知りたいのに……」

 

 半分嘘で、半分本当。

 

 毎週末のように教会で会えていた頃に比べ、今は帰省時にしか彼女と会えない日々だ。

 限られた時間で僕の話をするよりは、主ちゃんのことを……今世で彼女がいかに幸せに暮らしているかの方が聞きたかった。

 

 同時に僕には、いくつか彼女に隠すべきことがあった。

 

 例えば、僕が一年生の頃からアルバイトに明け暮れてきたこと。

 主ちゃんは僕が奨学金と仕送りの両方を得ながら大学へ通っていると思っている。だが実際には、僕に実家からの仕送りなど存在しない。一人暮らしをする時だって、施設や柊先生の援助を受けた。

 それを返すため、そして生活をするためには、金を稼ぐ必要があった。

 

 主ちゃんには言っていない。詳しく事情を突っ込まれれば、施設のことを話さなければならなくなる。……それは、できない。

 

 そして、美術サークルに入っていること。

 僕は、かつての生業を気晴らしにしていた。勉強やアルバイトの合間、暇さえあれば絵筆をとっている。

 一番多く描くのは、やはり宗教画だ。聖書のワンシーンや教会建築など……サークルメンバーからは、すっかりその手のジャンルの人として認識されている。

 毎年クリスマス前には施設から紙芝居の作成を依頼されるし、最近では大学近辺の教会や慈善団体でも同様のボランティアをすることがある。

 だが誰にも見せず、密やかに描いてきたのは……昔の光景や昔願ったこと。

 色褪せるはずもない、かつての彼女のこと。

 

「それより、のんちゃん」

「え?」

 

 物思いに耽っていた僕を、主ちゃんの可愛い声が引き上げた。

 

「まーた、私というものがありながら考え事して……」

「ご、ごめん」

「しっかりしてよね。……それで、のんちゃんって今、大学四年生なんだよね?」

「うん。そうだよ」

「三月で卒業するんだよね?」

「その予定だね」

「じゃあ、来年の四月にはこっちへ帰ってくるの?」

「…………。それは」

「約束したよね? 絶対、帰ってくるって。覚えてる?」

 

 もちろん、覚えている。

 

 全愛町を出る時。……正確には、その直前の日曜礼拝の日。

 

『行っちゃいやだ。のんちゃん、行かないで』

『主ちゃん……』

『のんちゃんは覚えてないかもしれないけど、私達、せっかく会えたんだよ? それなのに……』

『…………』

 

 覚えていないのは、君の方だ。

 僕は十四歳のあの日から、片時も君のことを忘れたことはない。

 

 そう、言えれば良かった。

 

『……約束するよ。大学を卒業したら戻ってくるから。そうしたら、また一緒に教会でお祈りしようね』

 

 正直に言えば、僕は全愛町へ再び戻ることに気乗りしなかった。

 いや、違う。

 

 全愛町へ、ではなく、主ちゃんの傍へ戻ることに。

 

『本当? 絶対だよ? 約束だよ?』

『うん、約束』

 

 今よりもっと小さかった主ちゃんの頭を撫でながら、僕は考えていた。

 大学を卒業するのに、四年かかる。

 そして泣きじゃくる主ちゃんは、今世ではまだ八歳だった。

 

 ……前世を覚えていない彼女が、今世の僕のことを忘れるには十分すぎる時間じゃないか?

 

『だから、泣かないで。主ちゃん』

 

 僕はその約束を守る気など、最初からなかった。

 彼女の希望(のぞみ)を、またしても裏切るつもりだったのだ。

 

 だが、三年と少しが過ぎた今……主ちゃんは、変わらなかった。

 

 相変わらず前世の――いや、生前のことはほとんど思い出せないようだ。

 その方がいい。優しい両親と家庭に恵まれた今の彼女は、幸せなのだから。

 

 それなのに、僕を慕う目は変わらない。

 その目から逃れられない。

 

 ……そうか。

 唐突に僕は理解した。

 

 今日、彼女がここへ来たのは、これが聞きたかったからか。

 

 

 

 つまり、これも罰か。

 

 

 

 ならば、また君を裏切らざるを得ない。

 

 僕は得意の笑顔を貼りつけた。

 そうすると彼女は簡単に騙される。

 

「もちろん、覚えているよ。主ちゃん。約束だものね」

 

 安心したような彼女の笑みに木漏れ日がキラキラと揺れて、かつて石造りの教会で見た泣き顔と重なった。

 

 やはり僕は、僕の罪から逃れられない。

 

 

 

4.

 

 少しの間だけサークル仲間に主ちゃんのことを頼み、講義棟へ戻った。

 

 真夏のぎらついた日差しが玄関へ差し込み、それが途切れた所で床に白と黒の境界線を作っている。

 そこを踏み越えたのを合図に、蒸し暑い空気は途端にひんやりとした冷気へ変わった。

 

 本館の入り口を入った近くに、公衆電話があったはずだ。

 度々ケータイ代をケチっている僕は、よく利用している。今月は大学院やら研究やらの関係で通話が嵩み、まだ中旬にも関わらず既に最低料金の上限ギリギリだった。

 

 まずは主ちゃんの養父母……七星夫妻へ連絡しなければ。

 いくら主ちゃんが自分の意志でここまで来たとはいえ、世間的にはまだ十二歳。然るべき対処をしなければ、僕が誘拐犯になりかねない。

 それに、あの夫婦のことだ。実の娘と何ら変わりない愛情を彼女へ注ぐ彼らは、今頃、大層心配しているに違いない。

 

 が、ここで問題がひとつ。

 ……七星さん達の連絡先を知らない。

 まあ、教会以外で関わりもないのだから当然だ。七星さん達と僕は、あくまで全愛教会の信者同士というだけだし。

 

 しかし関係が薄い根本的な原因は……彼らが、内心では僕と主ちゃんが仲良くするのを良く思っていないからだろう。

 

 僕が、彼らが主ちゃんを引き取った施設の出身だから。

 今は都合よくその事実を忘れ去っている主ちゃんが、僕といることでその記憶を思い出してしまうかもしれないから。

 

 主ちゃんの手前、表面上では僕にも親しげにしてくれるものの……彼らが僕を見る目は、いつもどこか不安げなのだ。

 

 わざわざ煽ることもあるまいと距離を置いてきたが、今となってはもう少し話をしておけばよかったと思う。

 少なくとも連絡先くらいは聞いておくべきだった。

 

 もちろん娘である主ちゃんならば知っているだろう。……まあ、予想通り教えてくれなかったが。

 

『ママ達が迎えに来ちゃったら困るもの。私、今晩はのんちゃんと一つ屋根の下で過ごすつもりでお泊まりセット持ってきたんだから。何なら勝負下――むぐ』

 

 さすがに言い切る前に両手で口をふさがせてもらったが、サークル仲間たちからは再びドン引きの目を向けられた。

 ……理不尽だ。

 

 ともかく、七星夫妻への連絡手段がないなら、手立ては決まっている。いや、話の通りやすさを考えれば、最初からこちらの方が良いだろう。

 

「…………」

 

 公衆電話の前へ立ち、受話器を上げ、慣れた手つきで柊先生の家の番号を押していく。

 何も思い出していなかった昔は、遠慮も知らずに施設からよく電話したものだ。

 

 柊先生は仕事で出ているかもしれないが、平日の昼間ならばおばさんがいるはず。

 僕は受話器を耳にあてながら、応答を待った。

 

 やがてコール音がやみ、聞こえてきたのは

 

「はい、柊です」

「……………………」

「……柊です。……もしもし?」

「…………。そういえば、夏休みだったね」

 

 ああ、うん。忘れていた。

 奔放なようでいて己の義務に関しては真面目な主ちゃんが、学校をサボるわけがない。というか、お盆期間中だった。

 彼女が休みだということは当然、彼も休みだ。

 

「…………その声、降待?」

「うん。久しぶり、誠慈(せいじ)くん」

「ああ……久しぶり」

「去年のお盆休み以来かな」

「……そうなるな」

「…………」

 

 何となく、会話が途切れる。

 ……前世を思い出して以来、僕が感じている気まずさ以上に、彼は僕に対して一線を引いているところがある。

 

 

*********

 

 十四歳だった年の降誕祭……クリスマス礼拝の夜。

 僕は全愛教会で洗礼(バプテスマ)を受けた。

 

 幼い頃から教会へ通い、絵本よりも聖書を読み、童謡よりも讃美歌を歌い、父のように柊先生を慕ってきた。

 物心つく頃には自然と、自分も彼のように教会籍へ属したいと思うようになった。

 ……今思えばそれは、教会籍にというより、もしかしたら柊先生の家の子になりたかったのかもしれない。

 あるいは、そう思うよう仕向けられたのか。

 

 今となってはわからない。

 かつてバプテスマのヨハネがヨルダン川でイエスにそうしたように、柊先生が僕に促して水を――

 

 ――その瞬間に『降待 望』の世界は崩れ去ったのだから。

 

 僕はそれまでの僕でなくなった。いや……それまでの僕の方が紛い物であったことに気づいてしまった。

 

 悔改(くいあらため)のバプテスマ。

 神の前で罪を告白し、赦(ゆる)しを請い、御手(みて)を受け入れることで心新たに生まれ変わる。

 

 僕が?

 彼女を守れなかったのに?

 彼女を裏切ったのに?

 彼女を見殺しにしたのに?

 

 僕はとうにその資格を失っていたのだ。

 既に死んで黄泉へ堕ちた人間が、どんな顔で悔改を語ろうと言うのか。

 

 『降待 望』や『のんちゃん』などという存在は、ただの牢獄の檻に過ぎなかった。

 

 この黄泉へ堕ちたその時から、僕が望むことをゆるされるのは罰だけ。

 ……そうでなくてはならない。

 

 

*********

 

 

 無情にも、洗礼式は滞りなく終わった。

 

 しかしあの日以来、僕は柊家へ寄り付かなくなった。

 教会へは変わらず行っていたから、柊先生は成長した僕が他所の家へ入りびたることを遠慮するようになったのだと誤解したようだ。

 しきりにそれまで通りの交流を誘われたが、丁重に断った。

 

 柊家には……柊先生がとても大切にしている、そして僕も弟のように可愛がっていた、彼がいる。

 

 柊 誠慈もまた、堕ちるべくして堕ちた黄泉の囚人だった。

 

「……はあ。何やってんだ、あいつ」

 

 電話口の向こうで、誠慈が「アホくさ」と吐き捨てる。

 

 柊のおばさんは不在らしい。買い物に出ているそうだ。

 ひとまず彼へ事情を話し、七星家へ主ちゃんの無事を伝えてもらえることになった。

 ……もちろん、これから何とか本人を説得して、絶対に“今日中に”帰らせることも含めて。

 

「わかった。七星さんには、改札口で捕獲するように言っとけばいいんだな」

「そうだね。主ちゃんのことだから電車の乗り継ぎなんかは一人で問題ないと思うんだけど……今からだと到着は夜になるだろうから」

「ったく……。……子供だな」

 

 彼もその主ちゃんと同い年の子供のはずだが……年齢にそぐわぬ言動も、彼ならば至極当然だ。

 何せ、前世では僕より一回り年上だった。

 

「一応、僕のところへ遊びに行ってくるから心配しないで、って内容の置手紙はしてきたらしい」

「心配するだろ……。子供が夜遅くまで外出して許されるとでも思ってんのか、あいつは」

「…………」

 

 おそらく主ちゃんとしては今夜は僕の家へ泊まり(断固拒否するが)明日の日中に帰り着いて、両親へは手間をかけさせないつもりだったのだろう。

 いや待て。あの荷物の量からして数日間ほど滞在するつもりだったかもしれない。

 恐ろしい。主ちゃんは僕を犯罪者にするつもりだろうか。

 

 しかし……何となく、誠慈へは言いたくない。

 

「……降待?」

「……いや。何でもないよ。七星さん達へよろしく、誠慈くん」

「ああ」

 

 そのとき一瞬、かつて何度となく交わしたやり取りと重なった。

 

『……のんちゃん?』

『……いや。何でもないよ。柊先生へよろしく、誠慈』

『うん』

 

 受洗以来柊家を避けるようになった僕を、誠慈は変わらず慕ってくれていた。

 礼拝で僕を見つければ走り寄り、時にはおばさんに内緒で施設へ遊びにやって来た。

 

 そのたびに僕は、何とも複雑な表情で迎えては幼い彼を不安がらせたものだ。

 

 ……そんなことも、二年後に彼が彼の罪を思い出すまでだったが。

 

「それじゃあ――」

「降待」

 

 受話器を置こうとした僕を、誠慈が呼び止めた。

 何故だか続く言葉を予想できる気がして、ため息を吐きそうになる。

 

「…………何?」

「来年、卒業したらこっちに帰って来いよ。絶対」

「…………」

 

 やはり、今世だけとはいえ柊先生の息子だなと思う。

 何故こうも見透かしているのか。

 

「ずっと待ってるんだからな。七星が」

 

 知っている。

 彼女はまだ、僕との『前世』を諦めていない。諦めてくれない。

 

 それはつまり……あと2年と少しで、彼女はすべて思い出すということ。

 僕がどんなに酷い男かを思い出し、己の過去を後悔するだろう。

 

 そしてその罰を受け入れて、僕は二度目の死を迎える。

 それでいい。

 

 そう思っているのに、結局逃げ続けている。

 情けなく、弱い人間だ。

 

「誠慈くん。僕は――」

「……もういいだろ。おまえは、おまえらは十分苦しんだ」

「っ、……」

 

 それを言うならおまえの方だ、という言葉を飲みこむ。

 誰よりも熱心に祈り続ける彼の姿は、その悔恨の念の深さと彼自身の強さを物語る。

 

「帰って来い。全愛町に。七星のところに。必ず」

 

 気づいているはずだ。

 確かに、かつての彼は決してゆるされない罪を犯した。

 しかし昔と違って今の彼は、主ちゃんの隣を歩むのに何の障害もない。

 

 かつて病に侵され、死の恐怖に狂っていたのは彼だ。

 だが今、体の弱いのは降待 望だ。

 

 かつて年甲斐もなく若い彼女に恋をして、それが叶わないことに苦しんだのは彼だ。

 だが今、年齢がひと回りも違うのは降待 望だ。

 

 ちょうど前世での裏返しのように。

 これも罰のひとつなのだろう。

 

 それなのに同じ罪人であるはずの彼は、まるで生まれながらの聖人のように慈(いつくし)み深いことを言う。

 

「幸せになってほしいんだ。あいつも、おまえも」

 

 

 

5.

 

 電話を終えて、再び陽光の下へ戻る。

 中庭の強すぎる日差しに半分目を瞑りながら、主ちゃんの下へ歩いて行った。

 

 一歩、一歩。

 

 サークルの後輩達とはすっかり打ち解けたらしい。

 彼女本来の年齢からすれば同年代にあたるからだろうか。

 おしゃべりに興ずる主ちゃんはとても楽しそうだった。

 

 若干の嫉妬を覚えつつ近づいていくと、やがてその内容が耳に入ってきた。

 

「……だから心配なの。のんちゃん、大してお酒飲んでない癖に『気分が悪くて……』とかって寄りかかってきた女のこと馬鹿正直に信じて介抱したりしてない?」

「あー、大丈夫大丈夫。降待君はあんまり飲み会来ないから」

「そう? ならよかった。とにかく、のんちゃんは優しすぎなんだよ。変な女に引っかかりそう」

「うーん、そうかなあ。降待先輩って優しいけど、それ以上は踏み込めないっていうか……自然と、届かないな、って思わせちゃう感じあるよね」

「えっ、そうなの? のんちゃん、まさか……私のために、外ではわざと冷たいふりを?」

「え? 別に冷たいってわけじゃ……あ、いや。そ、そうかもね!」

 

 ……いったい何の話をしているんだか。

 

 脱力しつつ、さてどうやって主ちゃんを帰らせたものか考えていた時だった。

 

「ふむふむ、色々と情報が集まったな……。ありがと、大学でののんちゃん情報を提供してくれて」

「いえいえ。未来の奥さんなんだもんね」

「そうですとも。……ところでまだ聞いてなかったんだけど、結局のんちゃんは何のサークルに入ってるの?」

「あれ? さっきも言わなかった? 私達は美術サークルの――」

 

 その瞬間、走り出していた。

 

「ん? のんちゃん? やっと戻って――……、いだぁっ!?」

 

 考える間もなく、両手で勢いよく彼女の耳をふさいでいた。

 ……結構いい音がしたかもしれない。

 

 だが謝る余裕もない。

 動転した頭でどう言い訳をしたものか必死で考える。

 

 美術サークルに所属していることは、主ちゃんには秘密だった。

 言ってしまえば彼女のことだ、作品を見たがるだろう。

 僕が描き溜めてきた、気持ち悪い罪悪感の数々を。

 

 それ以前に、それを切欠に過去のことを思い出してしまうかもしれない。

 かつて、絵描きだった僕のことを。思い出の絵物語を。

 

『あなたの側から、前世に関わることを彼女へ示唆することはゆるされない』

 

 それを破ってしまったら何が起こるのか、わからなかった。

 

 もし2年を待つことなく、彼女がすべて思い出してしまったら?

 今日この時が裁きの日なのか。

 

 この幸せな夢は、今終わるのか。

 

 

「…………」

「…………。あ、あのね。のんちゃん」

 

 審判を待っていた僕の耳に、何だか様子のおかしい主ちゃんの声がようやく届いた。

 

「……?」

「……熱烈な抱擁、とっっっても嬉しいんだけど、みんなが見てるから……」

「…………」

 

 抱擁? また主ちゃんが変なことを……と思いつつ、ふと我に返って己の体勢を見直してみる。

 

 後ろから彼女の耳を塞ぐだけでなく、勢いのまま頭部ごと引き寄せ、その小さな上半身を抱きかかえていた。

 慣れない僕からのスキンシップに、主ちゃんは顔を真っ赤にしている。

 普段もっと際どいことを平気で口にしているくせに何を今さら。

 かわいい。……いや。

 

 ……抱擁だ、たしかに。

 

「……………………ごめん」

「い、いえ……」

 

 柄にもなく恥じ入る彼女をそっと解放し、僕はおそるおそる周囲を伺う。

 

「…………」

「…………」

 

 数分前と比べ、ずいぶんと冷たい空気が流れていた。

 おかしい。今日も最高気温は30度を優に超えていたはず。

 

 冷気を出しているのは、先ほどまで主ちゃんと笑いあっていたサークル仲間達だ。束になった女子の視線は強力だな、と頭のどこかで思う。

 中でも、一番近くにいる後輩が軽蔑の目で僕を見てくる。そういえば彼女は教育学部の所属だ。ち、違う、君が考えているような目で彼女を見たことは断じてない。

 

「………えっと」

「…………」

 

 ふりだしに戻った、と直感した。

 

 この絶対不利な情勢をどうしたらいいだろうか……と内心で頭を抱えていた時、

 

 

 奇妙なことが起こった。

 

「……それで、のんちゃんは何のサークルに入っているの?」

 

 いつの間にか立ち直ったらしい主ちゃんが、無邪気に聞いてくる。

 どうやら先ほどの後輩からの回答は聞こえていなかったらしい。

 

 ほっとして、何とか誤魔化そうとした。だが……。

 

 それより早く、同じ後輩が口を開いた。

 

「え? だから何度も言ったでしょ? 美術サークルだって――」

「…………。え? それで何のサークルなの?」

「いや、だから……」

「ずっと聞いてるのに、全然教えてくれないんだもの」

「だから美術……」

 

 聞こえているはずだ。先ほどまで普通に会話していたのだから。

 

「サークルで何をしているの?」

「……えっと。降待さんは、キリスト教の題材で油絵を描いたり……」

「もー、何でそんなに隠すの? そんなに言えない活動をしているの?」

「宗教画以外でも、人物画とか……」

 

 しかし主ちゃんは不思議そうに首を傾げたのち、繰り返した。

 

「……? いい加減教えてよ。のんちゃんって、何のサークルに入っているの?」

 

 先刻とは違う意味で冷気を感じた。

 さすがにおかしいと、皆が気づき始めている。

 

「ねえ、誰でもいいから教えてよ」

「だ、だからね……。……降待先輩?」

 

 僕は無言で、後輩を手で制した。

 

「? のんちゃんが教えてくれるの? 今までな~んにも言ってくれなかったのに」

「……主ちゃん」

 

 人目も何も気にすることなく、今度こそ彼女の前へ跪き、両肩に手を置いた。

 

「のんちゃん? ……どうして泣きそうな顔してるの?」

「…………」

「私、何かした……?」

 

『彼女は、あなたが死ぬ時になってようやくそれを取り戻す』

 

 今は、その時ではないということなのだろう。

 その時にならない限り彼女は思い出さない。思い出せない。

 

 そしてもしも『前世』を忘れたまま生きることを選んだ場合。

 

 僕達の過去の時間は、このまま彼女の中から永遠に失われるのだ。

 

 あの貧しく小さな故郷の村も。

 僕達をかろうじて繋いでいた夢物語も。

 石造りの教会で見た再会の涙も。

 死の間際の微笑みすら。

 

 絶望が、恐怖を打ち破る音がした。

 僕は今、どれだけ情けない顔をしていることだろう。

 

「のんちゃん? わ、私が何かしたなら」

「……主ちゃんは、何にも悪くないよ」

 

 これは、弱く臆病な僕への罰なのだから。

 

「帰ろうか。家に」

 

 

 

6.

 

「七星さんから電話があったよ。無事に帰宅したそうだ」

「……よかったです。ご連絡ありがとうございます、柊先生」

「いやいや。しかし主ちゃんの行動力には驚かされるねえ。今頃こっぴどく叱られているだろうよ」

 

 反省するかはわからないけど、と笑う声が受話器の向こうから聞こえる。

 まあ、懲りないだろうな……むしろ、次はもっと上手くやらないと、などと思っていそうだ。

 

「降待君にも申し訳なかった、無事に送り届けてくれてありがとう、と伝えてほしいって」

「いえ……。新幹線口で別れましたから、送り届けたというほどでは」

 

 夜になってわざわざ電話をしてきてくれた柊先生は相変わらずの穏やかな話しぶりで、相手の心を解きほぐす力を持っていた。

 信仰心というより、この人柄を慕って全愛教会へ通っている信者も多いと聞くが、納得だ。

 かくいう僕も、はじめはそうだった。

 

「それでも主ちゃん一人じゃなくて良かった、と言っていたよ。……確かに、大学で都合よく君に会えたから良かったものを……」

「主ちゃんですから、それならそれで諦めて帰ったと思いますよ。知らない土地で変な大人についていったり、考えなしに迷子になったりするような子ではありませんし」

「君は、本当に主ちゃんのことをよくわかっているね」

「……、……はい」

 

 長い付き合いですから、という言葉は敢えて飲みこむ。

 同じ感覚を共有し得ないと分かっていながらそれを言うことは、柊先生に対して失礼ではないかと感じた。

 

 微妙な僕の返答をどう思ったか知らないが、先生は「そういえば、この間」と話を変えてきた。

 

「神学部の、君の指導教授に聞いたんだけど」

「? はい。……お知り合いでしたか」

「ああ、彼とは古い友人でね。君の話をしたら教え子だというから、これもお導きだね」

「そうですね……。教授が、どうかしましたか?」

「うん。話しているうちにね、君の卒業研究の話になったんだよ」

「…………」

 

 実は研究室に所属する前から、テーマは決めていた。

 

「少し意外だったな。てっきり、バプテスマの関連かと……ほら昔から、ヨハネのことを熱心に聞いてきただろう」

「ああ……そうでしたね」

「しかし、違ったね。だが心優しい君らしいといえば、君らしい。誠慈も同じように言っていたよ」

「……誠慈、君が」

 

 僕が研究課題に選んだのは、ペテロだ。

 新約聖書で主イエスと行動を共にした十二人の弟子のうちのひとり。

 イエスが十字架につけられる直前、敬愛するイエスが捕縛されたのに恐れをなした彼は、周囲の人々に対して咄嗟に嘘をついた。

 

 

----

 

それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。

 

ペテロは遠くからついて行った。

 

人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。

 

すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、

 

「この人もイエスと一緒にいました」

 

と言った。

 

ペテロはそれを打ち消して、

 

「わたしはその人を知らない」

 

と言った。

 

しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、

 

「あなたもあの仲間のひとりだ」。

 

するとペテロは言った、

 

「いや、それはちがう」。

 

約一時間たってから、またほかの者が言い張った、

 

「たしかにこの人もイエスと一緒だった。

この人もガリラヤ人なのだから」。

 

ペテロは言った、

 

「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。

 

すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。

 

主は振りむいてペテロを見つめられた。

 

そのときペテロは、

 

「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」

 

と言われた主のお言葉を思い出した。

 

そして外へ出て、激しく泣いた。

 

 

----ルカによる福音書22章54節から62節

  (日本聖書協会発行『口語新約聖書』(1954年版)より)

 

 

 イエスを十字架に売ったのは、裏切り者のユダだ。

 だがそんな大それたことをせずとも怖気づき、ただただ自らを偽り続けただけのペテロの、何と情けないことか。

 

 弱く、臆病なペテロ。

 慈悲深き主は、彼すらもお赦しになった。

 

 ……ああ、そうだ。

 僕は赦されたいのだ。彼のように。

 

 そのためには、逃げ続けていてはいけないのだ。

 弱く乏(とも)しく、彷徨うこの心も。

 

 たとえ永久(とこしえ)の別れが待っていたとしても、

 罪と死に勝ち、雄々しく強くあらねばならない。

 

「……誠慈といえば、あの子は最近『ヨブ記』が気になるらしくてね。一丁前に講釈を垂れてくる」

「彼らしいですね」

「そう思うかい? 君達は本当に兄弟のように分かり合っているね」

「…………。……あの、柊先生」

「ん? 何だい」

「実は、御報告することが」

 

 主ちゃんを送ったその足で大学へ取って返し、荒い息を吐きながら教授へ頭を下げたのはつい数時間前のことだ。

 さすがの柊先生も、まだ御存知でないだろう。

 

 教授は酷く驚き、引き留めてきたが決心は変わらなかった。

 僕はもう、迷わない。

 

「大学院への進学を辞退しました」

「…………それは、本当かい?」

「来年の春には、全愛町へ帰ります。全愛町かその近くで、宣教活動にこの身を捧げられたらと思います」

「それは……立派な心掛けだ。よく決めたね」

「……ありがとうございます」

「それに私個人としても……君の教授には悪いが、嬉しい限りだね。大歓迎だよ。いやはや、主ちゃんも誠慈も喜ぶ」

 

 帰ろう、僕の家へ。

 全愛町でも、全愛教会でも、施設でもない。

 

 七星 主。彼女こそ僕の帰り着くべき裁きの座なのだろう。

 

「そうだ。隣町の老牧師が、手伝いをしてくれる伝道師を探しているんだよ。どうだろう、考えてみるかね」

「勿体ないお話です。ぜひ」

「そうかそうか。……若さとは賜物(たまもの)だね。君や誠慈や、主ちゃんを見ているとそう思うよ」

 

 それが僕に課せられた罰なら、死のうとも構わない

 それでもゆるされるのなら僕は彼女との、本当の意味での再会―赦し―を待ち望む。

 

 彼女の傍で。終わりの日まで。

 

「それじゃあ来年、待っているよ。――願わくは、主の恵みと神の愛、聖霊の親しき交わりが君達の上に豊かにありますように」

 

 

 

7.

 

 長い長い夢のあとで、彼らの罪は赦された。

 

 一人は、雪降る再会の聖夜に。

 もう一人は、待ち望んだ再生の朝に。

 

 彼女によって悔い改め、愛することをゆるされた魂は永久に黄泉で祈り続ける。

 

 このふたりのうちで、どちらが彼女を多く愛するだろうか。

 

 

 しかしその判断もまた、永久に答えを持たないであろう。

 

 何故なら互いをゆるし合い、互いの幸福を願い続けることに終わりの日はないからである。

 

 

 よって、世々永久(よよとこしえ)に、最も大いなるものは愛である。

 

 

 

「アドヴェント・カレンダー」番外編

 二人の負債者

 Fin.